孫子の兵法を現代経営に活かす(第三回 風林火山)

「風林火山」とは武力の象徴ではなく、敵よりも早く戦地に着陣することである

少し間が空いてしまいましたが、第三回は「風林火山」の誤解と解釈について説明します。

ー金谷治訳注 新訂 孫子よりー 

 故に兵は詐(さ)を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為すものなり。故に其の疾(はや)きことは風の如く、其の徐(しずか)なることは林の如く、侵掠(しんりゃく)することは火の如く、知り難きことは陰の如く、動かざることは山の如く、動くことは雷の震(ふる)うが如くにして、郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直(うちょく)の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。

金谷治「新訂 孫子」、岩波書店、2001年1月16日、94項

 第七編の軍争篇の第三に記述された内容は、孫子の兵法を読んだことが無くても、多くの人が「風林火山」として知っているのではないかと思う。これは戦国時代の武田信玄が旗印として使用したもので、武田騎馬軍団の強さの象徴をアピールしたことで有名になった。しかし、そのオリジナルの訳(上記)と照らし合わせると、いささか誤解した解釈で認識されているのではないかと感じる。ここでは、孫子が何を伝えたかったのかに焦点をあてて考えてみたい。
 まず、オリジナルの訳は風・林・火・陰・山・雷と”陰”と”雷”を含めた六つで例えられており、その中でも「侵掠することは火の如く」が”侵略”ではなく”侵掠”を用いていることに注目したい。ネットや辞典でこの二つを調べると多くは、領土、主権、財産などを奪うこととしてまとめられている。しかし、厳密にはそれぞれ分けて考えることが正しいと考える。”侵略”は他国の領土、財産を武力をもって奪う事であり、”侵掠”は他国の財産を掠めとる事である。つまり、ここでいう財産とは戦場であり、ここにいち早く着陣し敵を待ち構えることで、戦況を有利にするという解釈である。野球に例えれば侵略は得点を奪う事、侵掠は塁を掠めとる事(盗塁steal)ではないだろうか。また、これらが軍争篇に記述されていることにも意味がある。軍争の”軍”とは陣地を表しており、そこを争う(掠めとる)ために風・林・火・陰・山・雷に例えているのである。確かに「侵掠することは火の如く」とあれば、武田騎馬軍団のような騎馬武者が火のような勢いで敵に突進していくようなイメージが湧いてくるものだが、孫子の兵法としては攻撃的な戦術というよりは、本篇冒頭の「迂直の計」によって回り道をしているように見せかけ、実はまっ直ぐに最短で着くよう敵を欺くことの重要さを説いているのである。もちろん武田信玄も本来の意味を知ったうえで武力の象徴として「風林火山」を利用したであろう。そうでなければ、いち早く着陣するために、我々は風林火山の如く敵の裏をかいて(迂直の計)行動しますよ、と旗印で宣伝しているようなものである。
 ちなみに、英語版の孫子の兵法である『ART of WAR』での「侵掠することは火の如く」は、

 In raiding and plundering be like fire

raidingは襲撃、plunderingは略奪という意味で書かれている。


 なお、孫子の兵法は兵法とありながら攻撃的な具体的戦術はほとんどなく、戦わずして勝つこと、守備を固め敵の隙をつく、敵を欺く”詭道”などを用いた原則論を展開していることが本筋なのである。

 さて、これらを踏まえ「風林火山」を現代経営に当てはめてみたらどうだろうか。戦場にいち早く着陣し敵を待ち構えることで、戦況を有利にする、という意味から考えると、マイケルポーターのポジショニング戦略ではないだろうか。つまり自社が有利に市場で戦えるか分析したうえ(五事・七計)で、迅速かつ競合よりも早く(風林火山や迂直の計)ポジショニングをとることである。